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武豊の不倫以外にも、自殺・引退・落馬負傷……一筋縄ではいかない「競馬騎手2015」

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 今年の競馬界は、日本競馬の“顔”である武豊騎手が6年ぶりの100勝を達成し、G1も3勝(地方・海外ふくむ)と久々に「天才」らしい活躍をしてくれた。ただ、競馬に特別興味のない一般層には、別の意味で注目された1年でもあった。いろいろあった2015年の競馬界の人間模様を振り返る。

後藤浩輝騎手の自殺……抱えた心の闇と壮絶な人生

2015年2月27日、自宅の脱衣所で首を吊っている状態で死亡しているのが発見された後藤浩輝騎手。死の前日に後藤騎手と話した知人も、『いつもと変わらない様子で、まさか翌日に自殺するなんて想像もできなかった。いまだに信じられない。これは何かの間違いなんじゃないかって思う』と話しているほど、突然すぎる死だった。明るいパフォーマンスで競馬界を盛り上げて、G1レースを制し、JRA(日本中央競馬会)歴代16位の通算1447勝を挙げた後藤騎手は、まぎれもない名ジョッキーであった。 ファンの間でささやかれているのは落馬、負傷を繰り返しているうちに「死にたくなったのかもしれない」という疑念だ。確かに、後藤騎手は度重なる落馬トラブルに遭っていた。12年に5月6日のNHKマイルカップなどで2度落馬し、「頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折」と診断。復帰後の14年4月27日の東京競馬10R「府中市制60周年記念」でも落馬し、「第五、第六頸椎辣突起骨折」に見舞われた。  その一方で、後藤騎手にも近しい別の競馬サークル関係者は、それは根本的な自殺原因ではないと断じる。  小さい頃、実父に一家心中させられそうになり、父と離れてからも母や種違いの弟との生活など、後藤騎手が歩んだ人生は一般人とは一線を画すものである。そうした家庭環境が、後藤騎手の“闇”を作る根源にあるのではないかと……。  亡くなる一カ月前には、イベントでガラの悪い連中との接触も語られている後藤騎手。謎は深まるばかりだが、まずは改めて、心からご冥福をお祈りしたい。
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『特別模範男』(東洋出版)

藤田伸二が引退……日本競馬の“現実”に敗れた?

 JRA所属、ダービージョッキーの藤田伸二騎手(栗東・フリー)が9月6日、札幌競馬騎乗をもって引退することを発表した。JRA通算1918勝(うちG1・17勝)名手がターフから去ったのだ。ただ、なぜ今年だったのか。  藤田が、特にエージェント制度や外国人騎手偏重を中心として、JRAを公然と批判した著書「騎手の一分 競馬界の真実」(講談社)を発表したのは2013年5月。その時点で競馬界への興味はほぼなくなっていると語っており、とうに引退していても不思議ではなかったはずである。未練があった、ということか……。11年に「ヒルノダムールが引退したら、俺も一緒に辞める」と発言したという情報や、G1競走4勝(地方交流含む)のトランセンドについても、「トランセンドが辞める時は、俺も潮時だな」などとつぶやいたという話もあったが、2頭が現役を引退しても、藤田が身を引くことはなかった。「もう辞め時かも」とグチることで同情を誘い、騎乗の営業をかけているという良からぬ噂も流れていたようだ。  今年引退した本当の理由、それは“立つ瀬”がなくなったというのが主な見解だ。昨年まで「短期免許」で数カ月の滞在のみだったM・デムーロとC・ルメールというなじみ深い外国人騎手に、今年から「JRAの通年免許」が与えられ、当然のごとくリーディング上位に食い込んできた。『騎手の一分』によってJRAから距離を置かれた上、外国人騎手に騎乗馬を奪われた中で、騎手でいることが難しくなったという意見もある。 “男・藤田”として、長きにわたり中央競馬に確かなスパイスを与えてくれた藤田伸二。結局は、彼も現在の競馬界の“現実”に屈したということなのだろうか。
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武豊とフリーアナ・美馬玲子の不倫騒動と競馬界の“圧”

 武豊の“手つなぎ不倫デート”を、10月22日発売の「女性セブン」(小学館)が報じた。お相手は15歳年下でセントフォース所属、モデル・フリーアナウンサーの美馬玲子(りょうこ)と記事は伝えている。名前に「馬」があるのがなんとも武らしい。2人は競馬番組をきっかけに知り合ったという。  武が中山競馬場で開催されたスプリンターズS(G1)に騎乗した夜のこと。フランス凱旋門賞の解説など仕事をこなした後、武は美馬アナとの“危険な逢瀬”を楽しんだのだ。記事によると、下品なほど露出度の高いドレスを着た美馬アナと手をつないだ武は、時折ドレスのスリットに手を這わせて腰や尻を触っていたのだとか。   武自身は取材に対し「特別親しいわけではない」と語ったようだが、手をつないで素肌を触りまくっている時点で説得力はほぼ皆無だ。ネット上では「あなたもオトコだったのね」「がっかり」「最低」など、誠実そうな物腰と風貌の“武豊イメージ”崩壊になげくファンの声であふれ返った。武の妻である元タレントの佐野量子が、同月10日の『豊さんと憲武ちゃん!旅する相棒~1泊2日京都編~』(テレビ朝日系)で20年ぶりに揃ってテレビ出演し、その「おしどり夫婦」ぶりを見せたばかりでのこのスキャンダル。「女性セブン」もなかなかエグい。  しかし、この一大スキャンダルに、新聞やテレビは完全スルーを決め込んだ。ジョッキーのスキャンダルはタブー中のタブー。JRAは最も大事なクライアントで、毎年莫大な広告費を落としてくれる。何気なく見ている出走馬の載った馬柱も、実は広告料が発生している。新聞、テレビはおろか、男性誌やゴシップ誌もJRAの広告なくしては成り立たない。スキャンダルをやれるとしたら、競馬と無縁の女性誌しかないらしい。  なんともいやな側面もあるが、それでもその騎乗技術や華、トーク術やタレント性は競馬界のスターに足るものには違いがない。不倫くらい許してもいいのでは、と思ってしまう。
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福永祐一公式サイトより

福永祐一がまた落馬事故。大レースで結果を出せない理由

 10月31日、京都競馬場で行われたスワンステークス(G2)で落馬した福永祐一騎手。「右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折、右肩の靱帯断裂、右胸骨骨折」という全治4カ月の重傷を負い、現在まで独走状態だった2年ぶりのリーディングジョッキーも、厳しい状況となってしまった。  そもそも、福永騎手は“落馬が多いジョッキー”と競馬ファンから揶揄され、大手ポータルサイトの検索で「福永祐一」と書き込むと、落馬関連の表記がズラッと並ぶほどだ。  2年前、エピファネイアで菊花賞を勝つまで、牡馬クラシック競走(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)は1996年のデビュー以来未勝利。デビュー当初のキングヘイローにはじまり、最近もワールドエースやリアルスティールなど世代きっての素質馬に乗り続ける福永としては、物足りなさすぎる数字だ。特にG1ではあと一歩、ほんの少しの差で2着に甘んじる姿も目立つことから、勝負弱いともいわれている。「武豊になれない」最大の理由だろう。  私生活でもその“ユルさ”を露呈しているようで、13年に当時フジテレビアナウンサーの松尾翠との婚約を発表するまでは、武幸四郎騎手など、関西の若手騎手とともに多くの合コンに参加していた遊び人で知られていた。モデルの松田樹里、交際当時タレントの若槻千夏、仲根かすみ、グラビアアイドルの森下悠里、手島優といった、多くの芸能人と浮き名を流していたことも周知の事実。オンナ関係の尻尾をなかなかつかませなかった武とは対照的に、福永の恋愛事情はアケスケだったようだ。  福永騎手は結婚を機に合コンは控えているようだが、馬に乗れない期間をどう過ごしたのか? お金はたっぷりあるようなので、遊び人の血が騒ぎ出すのではないかと周囲は危惧している。ファンとしては、まずトップジョッキーらしくG1を勝利しまくってほしいものだ。  トップ騎手たちの悲喜こもごも。来年は暗いニュースやスキャンダルなどなく、競馬ファンを例年以上に大いに湧かせてほしい。

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