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Channel: 日刊サイゾー
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ヘイトスピーチ対策法が成立へ 狂奔する「反ヘイトスピーチ」に「表現の自由」はどうあるべきか

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gijido0514
 13日、国会で審議されていたヘイトスピーチ対策法案が参議院本会議で可決され、衆議院へと送付された。この法案は来週にも衆議院本会議で可決され成立する見込みだ。  この法案は「生命や身体に危害を加える旨を告知し、著しく侮辱するなど、外国出身者であることを理由に、地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」をヘイトスピーチと定義して、解消に向け、国や地域社会が、教育や啓発広報、相談窓口の設置など「地域の実情に応じた施策を講ずる」よう定めるものだ。条文には罰則は含まれず、あくまで理念を定めた法律となっている。  この法案をめぐっては、さまざまな議論がなされた。ひとつは保護対象者を「適法に居住するもの」に限定したことしたことで、難民などの非正規の滞日外国人を対象にしないとも解釈できること。そして「表現の自由」との兼ね合いだ。  これらの問題から、参議院本会議では、山田太郎(無所属/表現の自由を守る党)、中野正志、中山恭子、和田正宗(日本のこころ)、福島みずほ、又市征治(社民党、吉田忠智議員は本会議を欠席)、山本太郎(生活)の各議員が、それぞれの立場から反対票を投じるにいたった。  こうして成立しようとしている法案には、前述の通り懸念を寄せる意見もある一方「反ヘイトスピーチ」を主張してきた人々は、この「前進」を諸手を挙げて喜んでいるようだ。  批判の声は、前述の適法居住をめぐる問題、あるいは、罰則を設けない生ぬるさが多くを占めており「表現の自由」を念頭に置いた批判は、いまいち活発ではないように見える。  だが、今回の法案が理念を定めたものとして成立したことで、もっとも脅かされるのが「表現の自由」であることは間違いない。「ヘイトスピーチ」をめぐっては、すでに1月に大阪市が「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」を可決している。今回、国が法律を定めたことで、全国各地の自治体で同様の条例を制定する動きは活発になるだろう。  その結果やってくるのは、さまざまな発言に「ヘイトスピーチ」のレッテルを貼り合う泥仕合。はたまた、そうしたレッテルを貼られることを恐れるあまりに、言論や表現が躊躇される状況である。こうした事象を、我々はすでに体験している。なにかと「ナンタラハラスメント」と非難されたり「個人情報がナントカ」といわれたりする形で。  もちろん「表現の自由」は、やりたい放題、言いたい放題の自由ではない。アジアの同胞に対する侮蔑的な発言、表現が許されるものとは思えない。しかし、それを衆を頼み、国家権力を使って殲滅しようと考えるのは理解に苦しむ。元来、近代以降の国民国家というのは、領域内に住む人々を分断し管理支配するシステムを内包している。ヘイトスピーチ対策法、そのシステムに、新たな支配の道具を手渡したわけである。この法律の成立を喜ぶ「反ヘイトスピーチ」を主張する人々は、自らの死刑執行ボタンを押したとみていいだろう。  差別的な思考を口に出したり、表現する行為を行うのは、個人である。そこにいたるまで、個々にさまざまな人生の事情があるだろう。ゆえに、それが間違いだと思うのならば、言って聞かせて糺すのが、東洋的価値観である。レッテルを貼り法律を駆使して上から叩きつぶそうとする近代以降の西洋的価値観に与するべきではない。  法律を背景にしたレッテル貼りの先には、増殖した怨念による「ヘイトクライム」の危機も生まれる。「ヘイトスピーチ」と「表現の自由」をめぐる問題は、その途上で姿を現すことになるだろう。今すぐ、過去の作品も含めて批判を受けることはない。だが、意図していないときに、突然「ヘイトスピーチ」というレッテルを貼られるケースは、必ずやってくる。  表現を生業にする人に求められるのは、そのときにどうするかを考えることだろう。これからやってくる「ヘイトスピーチ」だとか「ファシスト」だとかいうレッテル貼りは、むしろ勲章だと思ったほうがよい。レッテル貼りに対抗できる方法は、やはり表現し続けることだけだ。 (文=昼間たかし)

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